2026.07.15
人材教育
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「中途採用した従業員が、前職の顧客リストをそのまま持ち込んで営業していた」
そう気づいたとき、採用した自社も法的責任を問われる可能性があることをご存知でしょうか。情報漏えいのリスクは「悪意ある退職者」だけの問題ではありません。「自分で集めた連絡先は自分のもの」「前職のやり方を参考にしただけ」という認識の甘さが、企業を不正競争防止法違反に巻き込むケースが増えています。
本記事では、情報の持ち出しがなぜ犯罪になり得るのか、営業秘密として法的に守られるための条件とは何か、そして管理者が今すぐ着手すべき防衛策について、経営・管理職の視点で解説します。
なぜ「情報の持ち出し」が重い罪になるのか
顧客情報の持ち出しと聞くと、多くの管理職は「個人情報保護法の問題」と捉えがちです。確かに、顧客の氏名や連絡先は個人情報に該当します。しかし、もうひとつ見落とせない法律があります。それが「不正競争防止法」です。
本章では、両法律の違いを整理したうえで、「顧客情報の持ち出し」が犯罪となる仕組みと、違反した場合のペナルティについて解説します。
「個人情報保護法」と「不正競争防止法」の違い
個人情報保護法は、顧客や従業員等の「個人のプライバシー」を保護するための法律です。
企業が個人情報を適切に取り扱うことを義務付け、漏えいした場合には本人への通知や行政への報告義務を課す等のルールが定められています。
不正競争防止法は、事業者間の公正な競争を確保するため、不正競争の防止等を図るための法律です。同法によって禁止されている不正競争のひとつとして、営業秘密の不正な持ち出しが挙げられます。
顧客リストや製造方法、販売戦略、研究開発データ等、企業の競争上の優位性につながる秘密情報の不正な持ち出しを禁じており、被害に遭った企業は差し止めや損害賠償を求めることが可能です。
つまり顧客情報の持ち出しは、個人情報保護法だけでなく、不正競争防止法にも違反する可能性があるという二重の法的問題をはらんでいるのです。
不正競争防止法とは?情報の持ち出しが犯罪になる仕組み
不正競争防止法は、事業者間の公正な競争を確保し、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とした罰則付きの法律です。
不正な手段での競争行為を禁止しており、そのなかに「営業秘密の不正な取得・使用・開示」が含まれています。
企業の顧客情報や技術データを持ち出し、転職先で無断使用するようなケースがその典型例です。
重要なのは、これが「社内ルールの違反」で終わらないという点です。
つまり、単なる規則違反ではなく犯罪に該当し、場合によっては刑事罰が科されてしまうのです。
違反企業、個人が負う「法的責任」と深刻なペナルティ
不正競争防止法に違反した場合、民事と刑事の両面からペナルティを受ける可能性があります。
民事上のペナルティとしては、侵害行為の差止請求、損害賠償請求、信用回復措置請求等が挙げられます。被害者からこれらの請求を受けると、経済的に大きな痛手となってしまいます。
刑事上のペナルティはさらに深刻です。
営業秘密の侵害行為については、原則として10年以下の拘禁刑(旧:懲役)もしくは2,000万円以下の罰金が科され、または拘禁刑と罰金が併科されます。
また、従業員が会社の業務に関して営業秘密の侵害行為をした場合は、会社にも5億円以下の罰金が科されます。
さらに忘れてはならないのが、社会的信用の失墜です。
企業が営業秘密侵害に関与したことが報道されれば、顧客や取引先からの信頼は大きく損なわれるでしょう。
会社の大切な財産を守る「営業秘密」の3要素
自社が被害を受けた場合に備えることも、管理職の重要な役割です。顧客情報の持ち出しを「不正競争防止法違反」として争うためには、まずその情報が法律上の「営業秘密」に該当していなければなりません。
経営者や管理職が覚えておくべき重要な事実は、「会社が秘密だと思っている情報」が自動的に法的保護を受けるわけではないということです。
営業秘密として認められるには、次章で解説する秘密管理性・有用性・非公知性という3つの要件をすべて満たしている必要があります。
秘密管理性(最低限行っておくべき管理の形)
秘密管理性とは、客観的に見て情報を秘密として管理していることを指します。ポイントは「客観的に見て」という部分です。
経済産業省の「営業秘密管理指針」(令和7年3月改訂版)によれば、「営業秘密保有者の秘密管理意思が秘密管理措置によって従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思に対する従業員等の認識可能性が確保される必要がある。」とされています。
また、実務上の具体的な管理措置としては、以下のようなものが有効です。
- 「マル秘」「Confidential」等の秘密表示:ファイルや書類に秘密である旨を明示する。
- パスワードの設定・アクセス制限:情報にアクセスできる人員を限定し、権限のない従業員がアクセスできない状態にする。
- 持ち出し禁止・複製禁止のルール:営業秘密の複製(USBコピー、メール送付等)を禁止するルールを設ける。
- 入退室管理・施錠:秘密情報が保管されるエリアへのアクセスを物理的に制限する。
「口頭で秘密にするよう伝えていた」程度では不十分とされるケースが多く、注意が必要です。
有用性
有用性とは、事業活動にとって有用な技術上または営業上の情報であることを指します。
顧客リスト、製品の製造ノウハウ、独自の販売戦略、価格設定情報等が典型例です。
経済産業省の営業秘密管理指針では、実際に事業で使用されている情報であれば、公序良俗に反する等保護の相当性を欠くような場合でない限り、有用性の要件を満たすと整理されています。
非公知性
非公知性とは、その情報が一般に知られていない(公然と知られていない)か、または容易に知ることができない状態であることを指します。
広く入手できる刊行物に掲載されている情報や、自社のウェブサイトで公表している情報等の誰でも容易に入手できる情報は、非公知性を欠くため営業秘密に該当しません。
どこからが違法?管理職が知っておくべき「データ別」の境界線
「自分で作った資料なら持ち出してもいいのではないか」「名刺交換で集めた連絡先は自分のものでは?」等、部下がこうした疑問を持つことは珍しくありません。
管理職は部下の疑問を解消し、勘違いしているようなら正す役割を担っています。
IPAの「企業における営業秘密管理に関する実態調査報告書(2024年)」でも、情報漏えいの多くが悪意ある行為ではなく、認識不足から生じていることが指摘されています。
以下、混乱が生じやすい具体例を整理します。
名刺アプリ・連絡先のデータ
営業担当者の間でよく見られる誤解が、「自分で開拓した顧客だから、その連絡先は自分のもの」という考え方です。
しかし、たとえ自分が獲得した顧客であっても、その情報は業務上収集したものである以上は会社のものです。名刺アプリに取り込んだデータを退職時に私用のスマートフォンへ移行したり、クラウドストレージへバックアップしたりする行為は、営業秘密の不正な複製・持ち出しに当たり得ます。
自分が作成したExcel資料・提案書
「この提案書は自分が作ったものだから手元に置いておきたい」と考える従業員もいます。しかし、業務中に作成した成果物の著作権や所有権は原則として会社に帰属します。
どれだけ個人の努力が込められた資料であっても、業務の一環として作成されたのであれば、会社の許可なく持ち出すことは許されません。
特に、顧客情報や価格情報、競合分析データ等の営業秘密が含まれる資料を持ち出すと、不正競争防止法違反に該当するおそれがあります。
前職で得た顧客リストや技術データ等
中途採用した従業員が「前職でやっていたやり方」を参考にして、前職の顧客リストや技術データを持ち込み、自社の業務に使用するケースがしばしば見られます。
その場合、利用した従業員本人だけでなく、その利用を黙認または知りながら放置した会社も不正競争防止法違反の責任を問われるリスクがあります。
個人が得た「スキル・経験・考え方」等は合法的に新天地で活かせますが、「顧客名簿・技術仕様書・価格表」等は、持ち出した時点で違法になる可能性が高いのです。
営業秘密の不正な持ち出しに当たるかどうかの線引きを組織内で明確に伝えておくことが、管理者の重要な役割といえるでしょう。
【実例】営業秘密の不正利用行為で企業が被った損害
本章では、実際の裁判例をご紹介します。
それぞれ、「営業秘密」の3要素が争点となった事例です。
決して他人ごとではない「営業秘密不正利用行為」の内容となっています。
元従業員による顧客データの競合他社への持ち出し事例
不正競争行為差止等請求事件(民事)
事件番号:平成22年(ワ)第7025号不正競争行為差止等請求事件
大阪地裁平成25年4月11日判決
ある会社の元従業員が別の会社に移る際、顧客情報を持ち出したことが問題になった事案です。
元従業員側は、従業員や関連会社の従業員が顧客情報を自由に閲覧でき、私物PCへの保存も行われていたこと等から、顧客情報は秘密管理性を欠くと主張しました。
しかし裁判所は、会社が独自システムにより顧客情報を管理し、ID・パスワードによるアクセス制限を設けていたこと、就業規則で機密漏えいを禁止していたこと、データの複製や譲渡・転売を禁止していたこと等を指摘しました。また、従業員には守秘義務が課されていたため、顧客情報が秘密である旨を認識できたと判断し、秘密管理性を肯定しました。
裁判所は有用性と非公知性も肯定し、顧客情報が営業秘密に当たることを認定したうえで、それを不正に持ち出した元従業員と所属企業に対し、顧客情報の使用差止めと損害賠償を命じました。
中途採用者による情報持ち込み事例
不正競争防止法違反被告事件(刑事)
事件番号:令和4年(特わ)第2148号不正競争防止法違反事件
東京地裁令和6年2月26日判決
ある飲食チェーン(A社)に在籍していた経営幹部Cが、競合の飲食チェーン(B社)に転職した際、A社の仕入れ原価・食材使用量・損益等のデータを無断で持ち出した事案です。持ち出されたデータは、転職先のB社において共有され、原価比較資料の作成に利用されました。Cからデータの開示を受けたB社の部長Xは、法人であるB社とともに不正競争防止法違反で起訴されました。
弁護人は、データには「社外秘」等の表示がなく、パスワード管理も十分ではないこと等から、秘密管理性が認められないため営業秘密に当たらないと主張しました。
しかし裁判所は、A社において文書管理規程や守秘義務規程が整備され、原価情報や仕入情報が秘密情報として明示されていたこと、従業員から秘密保持誓約書を取得していたこと、定期的な研修によって機密保持の重要性を周知していたこと等を指摘しました。
さらに、データは一部の従業員のみが閲覧できるサーバ内に保管され、閲覧にはパスワードも必要であったことから、A社の秘密管理意思は客観的かつ明確に示されていたと認定しました。裁判所は有用性と非公知性も認定したうえで、不正競争防止法違反により、Xに対して「懲役2年6か月(執行猶予4年)および罰金100万円」、B社に対して「罰金3,000万円」を言い渡しました。
この事例の特徴は、「情報を持ち込まれた側(採用企業)」が刑事責任を問われた点です。中途採用した従業員が前職の営業秘密を提供してきても、絶対にそれを利用してはなりません。
管理者が実践すべき「情報の私物化」を防ぐための防衛策
情報漏えいは「外部からの攻撃」より「内部からの持ち出し」によるリスクがはるかに高く、管理者は組織としての防衛線を構築する必要があります。
以下、企業が行うべき具体的なアクションプランについて、運用およびコミュニケーションの観点から解説します。
入社時・退職時における「秘密保持誓約書」の徹底
まず取り組むべきは、「秘密保持誓約書」の取得徹底です。入社時と退職時のほか、昇進によって機密性の高い情報を扱うようになったタイミングでも取得することが望ましいでしょう。特に中途採用者には「前職の情報を持ち込まない」旨の明記が重要です。
「一切の秘密情報を漏えいしない」といった曖昧な表現は避け、保護すべき情報の対象を具体的に特定するようにしましょう。曖昧な内容だと、「何が秘密か分からない」と判断されるリスクがあります。
就業規則への明確な禁止事項の記載とルールの運用
「秘密管理性」を満たすには、以下の対応が有効です。
- アクセス権限を職務上必要な人員に限定し、記録を保持する
- 私用デバイスへのデータ移行・外部メール転送・USBコピーを原則禁止とする
- 社外への情報持ち出しには申請手続きを義務付ける
- 退職者のアカウントを速やかに無効化する
これらの措置を講じることで、「会社が秘密として管理していた」という証拠を積み重ねることができ、万一の訴訟においても有利な立場に立ちやすくなります。
eラーニングを活用した「コンプライアンス教育」による意識改革
不正競争防止法の内容を管理職が口頭で説明するには限界があります。「どこからが違法か」「なぜ自分には関係があるのか」を、法的な正確さを保ちながら従業員に伝えることは容易ではありません。
こうした課題に対して有効なのが、eラーニングを活用したコンプライアンス教育です。集合研修と異なり、eラーニングには以下のメリットがあります。
- 時間・場所を問わず受講できるため、シフト勤務や複数拠点がある組織でも全従業員に均質な知識を届けられる
- 繰り返し学習や自分のペースでの受講が可能なため、一度の説明では定着しにくい法的知識も着実に組織へ浸透させられる
- 管理職の説明スキルに依存せず、新入社員・中途社員の入社タイミングに合わせてオンデマンドで対応できるため、教育の抜け漏れを防げる
- 受講状況を一元管理できるため、万一の訴訟において「会社として適切な教育を行っていた」という証拠としても機能する
特に中途採用者の入社時には、前職情報の持ち込みリスクを具体的な事例をもとに伝え、「知らなかったでは済まされない」という認識を組織全体で共有することが、長期的な営業秘密の保護につながります。
まとめ
営業秘密の漏えいは「悪意ある一部の従業員の問題」ではなく、「知らなかった」「自分のものだと思っていた」という認識の甘さから起きるケースが少なくありません。
秘密保持誓約書の整備や就業規則の明文化といった制度的な対策と、全従業員への継続的な教育。この両輪がそろってはじめて、組織としての防衛線が機能します。
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監修者情報
阿部 由羅(弁護士)

ゆら総合法律事務所 代表弁護士
プロフィール
西村あさひ法律事務所・外資系金融機関法務部を経て現職。ベンチャー企業のサポート・不動産・金融法務・相続等を得意とする。その他、一般民事から企業法務まで幅広く取り扱う。埼玉弁護士会所属。登録番号54491。各種Webメディアにおける法律関連記事の執筆にも注力している。東京大学法学部卒業・東京大学法科大学院修了。
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